磯子プリンスホテルの閉館の理由|跡地の現在とブリリアシティ横浜磯子

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横浜市磯子区の丘の上にあった磯子プリンスホテルがなぜ姿を消したのか、跡地に何が建ったのかを知りたくて調べ始めた人は多いと思います。

結論から言うと、営業終了は2006年6月30日で、理由は西武グループの経営再建にともなう不採算施設の整理と、丘の上という立地の事情が重なったものです。

ここで取り違えやすいのが、現在も営業している新横浜プリンスホテルとは別の施設だという点と、跡地に残る貴賓館のレストランがすでに営業を終えているという点になります。

この記事では、閉館に至った経緯とホテル時代の姿、そして跡地が今どう使われているのかを、公式サイトや報道で確認できた情報にしぼって順番に整理していきます。

記事のポイント

①:磯子プリンスホテルが閉館した日と理由

②:西武グループの経営再建と立地の事情

③:跡地はブリリアシティ横浜磯子に転換

④:貴賓館は残ったが公開は中止中

磯子プリンスホテルの閉館の理由と背景

磯子プリンスホテルの閉館の理由と背景
プレミアムホテルの世界線

まずは、このホテルがどんな歴史をたどり、どういう事情で営業を終えたのかを順番に見ていきます。

開業から閉館までの流れをつかむと、理由がひとつではなかったことがはっきりしますよ。

  • 横浜プリンスホテル磯子の歴史と住所
  • 閉館の理由は西武グループの整理
  • 磯子プリンスホテルの閉館前イベント
  • プールや施設の人気と歴史的意義
  • 閉館後の跡地開発の概要

横浜プリンスホテル磯子の歴史と住所

「磯子プリンスホテル」は通称で、正式な名称は「横浜プリンスホテル」でした。

住所は神奈川県横浜市磯子区磯子3丁目で、跡地に建つ商業棟は磯子3丁目13-2にあたります。

JR磯子駅から国道16号を挟んだ丘の上という位置関係で、海を見下ろす高台に建っていました。

始まりは1937年に完成した東伏見邦英伯爵の別邸で、戦後は官舎やフランス使節の宿舎として使われた時期があります。

これを西武グループが取得し、1954年10月1日に食堂7室・客室4室の「横浜プリンス会館」として開業したのが出発点です。

下の表は、レファレンス協同データベースに収録された神奈川新聞の記事などで確認できる沿革をまとめたものです。

年月日 出来事
1937年 東伏見邦英伯爵の別邸が完成(のちの貴賓館)
1954年10月1日 別邸を活用した「横浜プリンス会館」開業
1960年9月15日 鉄筋コンクリート3階建ての新館オープン
1969年 改装され、ゲストハウスとして利用される
1987年1月31日 全面改装のため休業
1990年5月 客室441室の2代目ホテルが開業
1993年 貴賓館が横浜市認定歴史的建造物に
2006年6月30日 営業終了

会館として始まった施設が、新館の増設と全面建て替えを経て大型ホテルに育っていった流れが読み取れます。

1990年に完成した2代目の建物は村野・森建築事務所の設計で、翌1991年には日本建設業連合会のBCS賞を受けました。

地元では宿泊よりも結婚式や宴会の会場として知られており、磯子のランドマークという位置づけだったようです。

なお、同じ横浜市内でも新横浜プリンスホテルは現在も営業を続けている別の施設なので、ここは取り違えないようにしたいところですね。

閉館の理由は西武グループの整理

閉館の理由としていちばん大きかったのは、西武グループの経営再建にともなう不採算施設の整理です。

2004年に西武鉄道の有価証券報告書の虚偽記載が発覚し、上場廃止を経てグループ全体の再建が避けられなくなりました。

その流れのなかで、プリンスホテルは全国の保有施設を売却・閉鎖する方針を取り、横浜プリンスホテルもその対象になっています。

下の表は、閉館前後の動きを時系列で整理したものです。

時期 動き
2004年 西武鉄道の有価証券報告書の虚偽記載が発覚
2005年 横浜プリンスホテルの売却検討が表面化
2006年2月 六本木プリンスホテルが閉館
2006年6月30日 横浜プリンスホテルが営業終了
2006年以降 跡地は東京建物へ売却され解体・再開発へ

同じ時期に六本木プリンスホテルも営業を終えており、磯子だけが狙い撃ちされたわけではないことがわかります。

もうひとつの事情が、丘の上という立地です。

国道16号との高低差はおよそ60mあり、駅から歩くと長い坂を登らなければなりませんでした。

眺望という強みと引きかえに、日常的に人を集めにくい場所だったわけですね。

1990年竣工の新館はわずか16年で解体されており、建物の古さではなく事業としての判断が先に立ったことがうかがえます。

黒字でも取り壊された例としては、赤坂プリンスホテルの解体理由を見るとグループの考え方がつかみやすいですよ。

なお、閉館の理由を項目ごとに説明した公式文書は確認できておらず、ここまでの整理は報道と公開情報から読み取れる範囲になります。

磯子プリンスホテルの閉館前イベント

磯子プリンスホテルの閉館前イベント
プレミアムホテルの世界線

最終日の演出として今も語り継がれているのが、客室の窓明かりで描かれた「50年アリガトウ」のメッセージです。

会館としての開業が1954年ですから、ちょうど50年あまりを地域とともに過ごしたことになります。

ひとつずつ客室の照明を点けて文字をかたどるという方法で、坂の下の国道側からもはっきり読み取れました。

閉館を惜しむ人が最後の一夜に集まり、消えていく明かりを見上げたという記録が各所に残っています。

磯子区選出の市会議員が自身と父親の結婚式をこのホテルで挙げたと振り返っているように、地元の人生の節目を引き受けてきた場所でした。

宴会場や結婚式場としての利用が多かったぶん、閉館の知らせは単なる宿泊施設の廃業以上の受け止められ方をしています。

跡地に何が建つのかという関心も、閉館が決まった時点からすでに地元で共有されていました。

一方で、閉館前に写真展が開かれたという話も見かけますが、裏づけとなる記録は確認できませんでした。

確実に言えるのは、最終日の窓明かりと、そこに集まった人たちの反応が記録として残っているところまでです。

プールや施設の人気と歴史的意義

1990年に建て替えられたホテルは、当時としてもかなり大きな規模を持っていました。

下の表は、2代目ホテルの主な施設構成をまとめたものです。

施設 規模・内容
客室 441室(全室オーシャンビュー)
宴会場 31室
レストラン・バー 11軒
プール 屋外2面とプールサイドレストラン
貴賓館 1990年から結婚式・会食に利用

円形に近い流線型の建物で、客室のすべてが海側を向くという思い切った設計が特徴でした。

屋外のプールは夏のあいだ宿泊客以外にも開かれ、家族連れや学生の定番の行き先になっていました。

横浜港を見下ろしながら泳げる場所は近隣にほとんどなく、ホテルの名前を地域に広げる役割も果たしています。

宴会場が31室もあったため、結婚式と企業の集まりが同じ日に重なっても受け止められる体制でした。

国際的な舞台に登場したこともありますよ。

2002年のFIFAワールドカップでは、日本・ブラジル・エクアドルの代表チームが滞在しました。

会場の横浜国際総合競技場へ動きやすく、外部から隔てられた丘の上という条件がむしろ強みになった形です。

さらに1993年には貴賓館が横浜市の認定歴史的建造物となり、ホテルの一施設という枠を超えた価値が認められました。

閉館後の跡地開発の概要

営業終了後、敷地は東京建物へ売却され、住宅を中心とした大規模開発の用地になりました。

そこに生まれたのが「Brillia City 横浜磯子(ブリリアシティ横浜磯子)」です。

公式の物件概要によると、全13棟・総戸数1,230戸という規模で、敷地面積は101,906.84平方メートルにおよびます。

竣工はA棟からG棟が2013年5月、H棟からM棟が2013年11月と、二段階に分かれました。

分譲を手がけたのは東京建物・東京急行電鉄・オリックス不動産・日本土地建物販売・伊藤忠都市開発の5社です。

施工と設計は大成建設と長谷工コーポレーションが担当しました。

敷地の使い方にも特徴があり、空地率は約75%と建物以外の面積が広く取られています。

セントラルガーデンや磯子台紅取第二公園といった緑地が敷地内に配置され、プリンス坂という名の通路も整えられました。

敷地の入口側には商業棟のヒルトップモールが置かれ、その屋上に貴賓館が保存されています。

さらに国道16号沿いから丘の上へ直通するグランドエレベーターが設けられ、ホテル時代の弱点だった高低差に手が入りました。

つまり跡地開発は、住戸を並べるだけでなく、ホテル時代の建物と地形をどう引き継ぐかまで含めた設計だったわけですね。

磯子プリンスホテル閉館の理由と跡地の現在

磯子プリンスホテル閉館の理由と跡地の現在
プレミアムホテルの世界線

ここからは、閉館した場所がいまどう使われているのかを具体的に見ていきます。

ホテル時代の面影がどこに残っているのかも、あわせて整理しますね。

  • 跡地に建てられたマンションの魅力
  • ブリリアシティ横浜磯子の概要
  • グランドエレベーターの料金と利便性
  • 貴賓館のレストランの現在の状況
  • 跡地周辺の商業施設とアクセス情報
  • かつてのホテルからの移り変わり
  • 歴史的建造物の保存と新たな役割

跡地に建てられたマンションの魅力

いちばんの持ち味は、ホテルが選んだのと同じ丘の上というロケーションです。

海側に開けた地形はそのまま残っており、高層階からは横浜港の方角を見渡せます。

夜景スポットとして紹介されることもあり、ホテル時代の眺めが住まいの側へ移ったと言えますね。

空地率が約75%という数字も、住み心地に直結しています。

棟と棟の間隔にゆとりがあり、敷地内を歩くと住宅街というより公園に近い印象を受けます。

セントラルガーデンや磯子台紅取第二公園が敷地の中にあるため、子どもを遊ばせるのに敷地の外へ出る必要がありません。

共用施設も多彩で、スカイラウンジやオーナーズスイートといった眺望を生かした空間が用意されました。

オーナーズスイートはスカイスイート・ジャパニーズスイート・ガーデンスイートの3種類に分かれています。

ほかにもコミュニティルーム、ライブラリールーム、キッチンスタジオ、キッズルーム、マルチルームがそろっています。

受付にはグランドコンシェルジュが置かれ、1,230戸という規模を運用面で支える仕組みになっていますよ。

ブリリアシティ横浜磯子の概要

ブリリアシティ横浜磯子の概要
プレミアムホテルの世界線

数字の面を一度まとめておくと、跡地がどれくらいの規模に変わったのかがつかみやすくなります。

下の表は「ブリリアシティ横浜磯子」の公式サイトに掲載されている物件概要から抜き出したものです。

項目 内容
所在地 横浜市磯子区磯子台27、磯子3丁目13
総戸数 1,230戸(全13棟)
敷地面積 101,906.84平方メートル
竣工 2013年5月、2013年11月
専有面積 56.19〜142.11平方メートル
間取り 2LDK〜4LDK
構造・階数 鉄筋コンクリート造、地上3〜10階
施工 大成建設、長谷工コーポレーション

棟ごとに階数が違うのは、丘の斜面に合わせて高さを変えているためです。

間取りは2LDKから4LDKまで幅があり、単身世帯から子育て世帯まで受け止められる構成になっています。

住所表記もA棟からH棟が磯子台27、I棟からM棟が磯子3丁目13と分かれており、敷地の広さがそのまま表れていますね。

最寄りはJR京浜東北・根岸線の磯子駅で、グランドエレベーター入口までは徒歩4分ほどです。

京浜急行の屏風浦駅も生活圏に入っており、二路線を使い分けられる立地になりました。

グランドエレベーターの料金と利便性

この場所を語るうえで欠かせないのが、国道16号沿いと丘の上を直接つなぐグランドエレベーターです。

高さ60mをおよそ40秒で昇降するため、ホテル時代に不便とされた長い坂を通らずに済みます。

しかも居住者だけの設備ではなく、外部の人も料金を払えば利用できるのが珍しいところです。

下の表は、公式サイトと磯子区の情報ページに掲載されている料金をまとめたものです。

区分 料金
片道 52円(Suica・PASMOのみ)
未就学児 無料
定期券・小学生 1か月800円
定期券・中学生以上60歳未満 1か月1,600円
定期券・60歳以上 1か月800円

支払いは交通系ICカードと定期券に限られ、現金は使えないので初めて訪れるなら準備しておきたいところです。

通学や通勤で毎日使う人にとっては、定期券のほうが割安になる設定になっています。

運行はJR磯子駅の始発30分前から終電30分後までとされており、終電で帰っても坂を歩かずに済みます。

料金や運行時間は運営側の判断で変わることがあるため、利用前に公式サイトで現行の案内を見ておくと確実です。

かつて集客の足かせだった高低差が、地域の移動手段として整理し直された形ですね。

貴賓館のレストランの現在の状況

跡地の貴賓館は、再開発の後に創作和食の「中村孝明貴賓館」として営業していた時期があります。

ただし、この店は2019年に閉店しており、現在は食事に訪れることができません。

公式サイトにも、貴賓館内の地域公開スペースはテナントが営業していないため公開を中止していると案内されています。

古い紹介記事には営業中のレストランとして書かれたものが残っているので、訪問を考えている場合は気をつけたい部分です。

建物そのものが解体されたわけではなく、ヒルトップモールの屋上にあたる4階に保存されています。

屋上には居住者以外も使える多目的スペースと地域開放スペースが設けられ、こちらは1時間500円で利用できます。

敷地内で唯一の喫煙所も、この多目的スペースの中に置かれています。

地域開放スペースが屋上にある関係で、貴賓館の外観そのものは敷地を訪れれば今も目にすることができます。

食事をしたい場合は、同じヒルトップモールの1階にヴィレッジカフェ磯子店が入っています。

貴賓館の内部を見学できる機会が今後どうなるかは、公式サイトの案内が更新されるのを待つ形になりますね。

跡地周辺の商業施設とアクセス情報

跡地周辺の商業施設とアクセス情報
プレミアムホテルの世界線

買い物の中心になるのが、敷地の入口側に建つ商業棟のヒルトップモールです。

2階にはスーパーマーケットのマルエツが入り、日常の食料品はここで完結します。

ほかに1階のヴィレッジカフェ磯子店、2階のポニークリーニング、3階のCGパーソナル磯子教室などが並びます。

3階には地域活動を運営する磯子タウンマネージメント倶楽部が置かれ、1階と3階と屋上には駐車場が用意されています。

周辺に目を向けると、磯子区役所と磯子図書館がどちらも徒歩4分ほどの距離です。

コナミスポーツクラブ磯子も徒歩4分ほどで、磯子中央病院までは徒歩13分ほどになります。

少し足をのばせば久良岐公園があり、車なら三井アウトレットパーク横浜ベイサイドや横浜・八景島シーパラダイスも近い範囲です。

鉄道でのアクセスはJR京浜東北・根岸線の磯子駅が中心で、横浜方面へは乗り換えなしで出られます。

車の場合は国道16号の「磯子駅入口」交差点から坂を上り、ヒルトップモールの駐車場へ入る流れです。

買い物と食事と学習塾までが敷地の中で足りるという構成は、1,230戸という戸数があって初めて成り立つ形ですね。

カーナビはマルエツ磯子店を目的地にすると迷いにくいと公式サイトでも案内されています。

かつてのホテルからの移り変わり

かつてのホテルからの移り変わり
プレミアムホテルの世界線

1954年の開業から2006年の営業終了まで、この丘は半世紀にわたってホテルの敷地でした。

そこから解体と造成を経て、マンションとして人が住み始めるまでには約7年かかっています。

とくに象徴的なのが、1990年竣工の新館がわずか16年で取り壊されたことです。

BCS賞を受けた建物でも、事業として続かなければ残らないという現実がそのまま表れています。

下の表は、ホテル時代の要素が跡地で何に置き換わったのかを整理したものです。

ホテル時代 現在
客室441室 全13棟1,230戸の住戸
宴会場・結婚式場 コミュニティルーム、スカイラウンジ
屋外プール セントラルガーデンなどの緑地
ホテルのレストラン ヒルトップモールの店舗
坂道でのアクセス グランドエレベーター

開発を5社の共同事業として進めた体制も、13棟という規模ならではのものでした。

人が集まる場所という性格は残しつつ、対象が宿泊客から住民へ入れ替わったことがよくわかります。

それでもホテルの痕跡は消えておらず、敷地内の通路にはプリンス坂という名前が付けられました。

住所の一部である磯子台という地名とあわせて、丘の記憶が呼び名として引き継がれているのは面白いところですね。

歴史的建造物の保存と新たな役割

跡地でもっとも古いのが、1937年に建てられた旧東伏見邦英伯爵別邸、つまり貴賓館です。

鉄筋コンクリート造でありながら外観は和風、内装は洋風という組み合わせが特徴とされています。

建築費は当時の金額で百万円かけられたと公式サイトに記されており、別荘建築としての力の入れ方がうかがえます。

戦前の横浜における別荘建築の代表例として紹介されることも多い建物です。

三島由紀夫の『春の雪』に登場する別荘のモデルになったとも言われている建物です。

1993年には横浜市の認定歴史的建造物となり、保存すべき対象として位置づけられました。

1990年からはホテルの貴賓館として結婚式や会食に使われ、ホテルの閉館とともにその役目をいったん終えています。

再開発ではこの建物を壊さず、商業棟の屋上に据えるという形で残しました。

丘の上の敷地でさらに一段高い位置に置かれているため、周囲からも見つけやすい存在になっています。

現在はブリリアシティ横浜磯子の共用施設という位置づけで、屋上には地域へ開くための多目的スペースも併設されました。

ホテルという器がなくなっても建物が生き延びたことが、この跡地でいちばん大きな成果と言えそうです。

磯子プリンスホテルの閉館した理由の総括

  • 閉館日は2006年6月30日で営業は終了した
  • 最大の理由は西武グループの経営再建にともなう整理
  • 2004年の有価証券報告書の虚偽記載が再建の発端
  • 売却の検討は2005年に表面化していた
  • 高低差約60mの丘という立地も集客の壁だった
  • 起点は1937年の東伏見邦英伯爵別邸である
  • 1954年10月1日に横浜プリンス会館として開業した
  • 1990年の2代目は客室441室の規模だった
  • 2002年のW杯では日本・ブラジル・エクアドルが滞在
  • 最終日は「50年アリガトウ」の窓明かりで幕を閉じた
  • 跡地は東京建物へ売却され住宅用地になった
  • 現在は全13棟1,230戸のブリリアシティ横浜磯子
  • 坂は片道52円のグランドエレベーターで解消された
  • 貴賓館のレストランは2019年に閉店している
  • 貴賓館は横浜市認定歴史的建造物として残っている

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